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【カケラ Vol.05 試し読み】 椿の仇討つ

空想工房


椿の仇討つ



「おさむらいさん、おさむらいさんったら!」
 古い伝来ものの胡弓のように、よく響く、艶やかな女の声が、自分を呼んでいることに気づいて、半次郎は我に返った。
 雨が降っていた。打たれていると思わせないほどの細かい雨粒が切れ目なく降っていた。それらが見知らぬ町の土に音もなく染み込んでいく。
「こんなに濡れてしまって、男前が台無しじゃないかい」
 目の前がさっと赤く染まった。思わず息をのみ、身構え、それからすぐに、それが女に差し出された傘の色であることに気づいた。
 いつの間に雨が降り、いつから自分がそれに打たれていたのかわからなかった。髪も着物もすっかりと水を吸って重くなっている。夏の夕立にしては、重く冷たく、身体にまで染み込んでいきそうな雨だった。
「湯が沸いていますからね、うちへ泊まっておゆきなさいよ」
 ぼんやりしたまま、半次郎は声の主へ目をやった。薄暗い、夕暮れどき。赤い傘の下、まるで光っているかのように、女の白い肌が浮かび上がる。こんな小さく、他にひと気のないような町でも、湯女がいるものなのか、と呆気にとられた。その手の商売をする女に、二十四になるまで一度も関わらないで生きてきた。まだ陽の沈みきっていない時間から浴衣を、それも着崩しているのは、まさにそういった商売である徴なのだろうが、客と定めた相手に媚びる気配もなく、まっすぐに向けてくる目には、気品すら感じられた。
「さあさ、いい女の誘いを断るなんて、なしだよ、おさむらいさん」
「侍に」
 半次郎は思わず口を挟んだ。きょとんと、女が目を見開く。
「俺は、侍に、見えるか」
 その問いに、女が数瞬考えるように視線をさまよわせて、それから、唇の端に薄く笑いを浮かべた。
「旦那、何かわけありかい?」
 半次郎は目を閉じた。
 そもそも半次郎という名が、誰に与えられたものなのかも知らない。武家の子であれば、もう十年は前に、別の名が与えられていたはずだった。



著者:碧(ゲスト) twitter/url



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創作サークル「空想工房」会誌・カケラ Vol.05

発行:2019/10/12
A5サイズ・92P
頒布価格:500円



 気になる続きは「カケラ Vol.05」でお楽しみください(^^)/

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Posted by空想工房

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